政治家のご尊顔を拝むと、一体全体どれほど悪いことをしたらこんな人相になるのだろうかと不思議に思っていた。『生き方は顔に表れるもんね~』と、自分のアホ面のことは棚に上げてよそ様の顔面についてあれこれと妄想を働かせるのだ。どれほどの悪事を働けばそこまで顔がひん曲がるのか。1悪事に対して1度の傾斜がかかるのだろうか。だとすれは、軽く30悪事はゆうに超えているはず。悪の限りを尽くしたであろう顔面のパーツ配置。虫の心臓、基本的にチキンなわたしからは想像も及ばない人生を歩んでいるに違いない。ちなみにわたしの顔面といえば、ホステス時代に『平安時代だったら美人だったのにね』との評価をお客様から多数いただいた。そう、薄め。病院食のうどんのつゆくらいの薄味のあっさり風味。生まれてくるのが千三百年ほど遅かったようだ。残念でならない。平安顔が悠久の時を経てトレンドになるかもしれない来世に期待するしかない。
さて、政治家に対しては現代の悪代官のような印象しかなかったのだが、この度の高市早苗さんの内閣総理大臣就任においては『おお!こりゃいい人が国のトップに立ったでな!』と、たいして政治に詳しくもないのに素直に心が喜んだ。
理由のひとつは、高市さんの記者との質疑応答がとてもよかった。Aという質問に対して、Aについての回答をするのだ。質問と回答が一致しているのは当たり前のことじゃないか、とお思いになるのも当然でしょうが、わたしが物心ついてから、政治家がAの質問に対してAの内容を回答しているところは記憶にある限り見たことも聞いたこともない。
大概が、このようなやりとりだったように思う。
記者『大臣(もしくは総理、もしくは議員)、Aの事案についてはどのようにお考えか?』
政治家『非常に重要。且つ、慎重に対処が必要。スピード感をもってしっかり対応していきたい。』
なんも答えてない。
重要かつ慎重に対処するのは当然で、スピード感をもってしっかり対応するのも当たり前のことであり、『それはただの心構えですよね』という感想しかない。質問に対して何一つ回答していない。それで回答したことになっているのだから、報道を見るたびに一体いまのは何だったのだ?と頭の中がはてなマークでいっぱいになっていた。
質問に対する回答ではなく、わたしが聞かされたのは質問の内容に対する彼らの心構え。心の在り方、気持ちの方向性。『違うんだ、聞きたかったのはそういうことじゃないんだ』と、地位も身分も、恐らく教養も高くあるいい大人が、いつもトンチンカンなことを言っているのをがっかりして聞いていた。
ところがどっこい、高市さんの質疑応答はきちんと会話になっているじゃあーりませんか。『すごい!質問に回答している!会話が成立している!』と、至極当たり前のやりとりにわたしは感心した。
『ケンちゃん、今日は夕飯に何食べたい?』と母親が幼い息子に問えば、『ぼく、きょうほいくえんでカエルをつかまえたの』とちぐはぐな回答が良しとされる。それは質問する側が相手にまともな回答を期待していない場合に限ってではなかろうか。
『あら、そうなの~。カエルさん捕まえられてよかったね~。じゃあ今日はカレーにするね~』『うんカレー食べる。あ、アリさんだ!』
幼子と母親との間でなされる会話はこれで十分成立している。母親は今夜の献立が決まり、息子はカエルとアリで好奇心を満たし、夜にはカレーにもありつける。
でも、これが政治家の会話の構造では、聞いているこちらとしては『スピード感を持つのもしっかりするのも当たり前やないか!スピード感をしっかりもって一体何をどうするのかが知りたいんじゃ!』と、カエルとアリでこちらの注意を逸らそうとする大の大人の所業に、むかっ腹が立つのだ。
高市さんの総理就任の際の質疑応答にはそれがなかった。
政治家なのに記者からの問にきちんと回答している。スピード感をもってしっかりと質問に回答しているのだ。わたしはにわかには信じられずに、会見の様子に見入っていた。高市さんが答える。高市さんが見解、方針、考えを話す。だから彼女がどういった人物なのかこちらが理解することができたのだ。
Aということについてあなたはどう考えているのかと聞いたのに、アリだカエルだと回答する。もはや回答にすらなっていないようなことを言う人物のことを理解するのは、到底無理なことで。何を考えているんだかさっぱりわからない政治家ばかりがこの国を動かしているのか~と思えば、政治に無関心になっても当然ではなかろうか。関心があったとしても、しっかりしたスピード感のカエルとアリばかりでは興味をなくす。興味を逸らすのが先方の作戦なのだとしたら大成功の戦術だが、その戦術もアリとカエルかと思えば、ガッカリを通り越して馬鹿にされているような気にすらなってくる。
カエルもアリも登場しない高市さんの言葉に、わたしは大人対大人の姿勢を見た。大人と大人が会話をしている。
こりゃすごい、良いもんを見たぞ、と嬉しくなった。
ところで、所信表明で『わたしは働いて働いて働きまくる!ワークライフバランスという言葉を捨てる!』と仰っていた彼女の言葉とその時の表情に、わたしは『ひゅー!かっこいい!』と痺れたのだが、すぐにメディアでは『わたしたちにもワークライフバランスを捨てろってことか!?』と反発する国民の声が多く上がっていると報道されていた。なんで?と思った。なぜ、高市早苗さんが『わたしは猛烈に働く』と宣言したことが『わたしにもそうしろってことか?!』という解釈になるのかがさっぱりわからなかったからだ。
高市さんは働くと言った。でも、あなたもそうしろなどとは、彼女も言っていないし誰も言っていない。そう言われていると解釈して受け止めたのは、他でもないYOU。そう、あなた。
あれかな、『なんでも自分ごととして捉えなさい』と、一部の教育があるように、なんでもかんでも『え、あの人がそう言うのなら自分もそうしたほうがいいのかな・・・』と自分ごとになって心配になるのだろうか。
いいのいいの!高市さんはそうしたいって言ってるけど、あなたがそうしたくないなら、あなたはそうしなくていいの。
やりたい人はやる、そうではない人はやらない。どちらもお互いに強制しない。各々が自分のやりたいようにやろう!『あの人がそう言うなら、わたしもそうしたほうがいいのかな~』なんて発想はかなぐり捨てて、あなたもわたしも、『あの人はそう考えるのね~。わたしは違うから、わたしはわたしの考えで自分の人生を生きようっと~』でいいじゃない。
選択は自分でできるはずなのに、他人のせいにして選ばされていると思ってはいけないよ。何を選ぶも自由。そして選択する責任は自分のみにある。誰のせいにもできないのよ。
働きたい人は働く。そうではない人は働かない。至極簡潔で、そこには本人の選んだ生き方しかない。
高市総理は働くそうだ。
わたし?わたしは働きません。だって、わたしは総理大臣じゃないもん。
2025/12/3 Wed