爆裂ナイーブが見た世界

爆裂な線香花火

人は皆等しく幸せになれるよねと思っていたらそうでもなかった件について

 自己肯定感。なるほど、自己を肯定する感覚。いや、感度か?

 今でこそ恐らく多くの日本人の脳みそに一単語として格納されているのではなかろうかと思われる概念だが、そもそも何なんですか、自己肯定感って。と、よく思うのだ。

 なんでまたそんな飯の種にもならない小難しいことをよく考えているかというと、私が正にその自己を肯定する性能が恐ろしく低い部類に属していると気づいたからだ。そう、俗に言う「生きづらさ」のレベルMAXにしてこの世の姿を借りた地獄を生きながらえているからである。

 ありがたいことに、現状のここ数年はその克服段階であり、気づけばなんでそもそも自分を肯定せなあかんねん。人間オギャアと生まれた時点でハイ肯定!だろうが、とも理解しているのだが、どうにも心が納得していないのだ。実は頭での理解も乏しい。正解が、オギャアで肯定いっちょうあがり!では無い気がするのである。

 いやいや、あんた、生き地獄ってそんな大げさな。考えすぎだよ、そして自意識過剰だよと言われ続け、そのたびに「悩んでる人間にそんな腹立つ豆腐みたいな助言してんじゃねえ」と心では毒づき、ついでに傷つき悲しんでいたが、その助言は有効なのかは別として、アリではあるのだろう。自己肯定感などというものは主観による主観のための主観だから、まあ10人いれば10通りの解釈があって仕方ないよね、というのが今のところ辿り着いた回答だ。じゃあ、なぜにそんなふわふわしたものにこんなにも振り回され、仕舞いには我が人生ディストピアである、なんて思考に支配されているのか、という話だ。そういう話をしようと思う。そして、最後にはそれなりの落としどころに到達できる気がするのでご興味のある方はお付き合いいただきたい。間違えてたらごめんね。

 そもそも自己肯定感なんて高尚な、というかそれが発掘されるまでの過去の歴史では特定もされていなかった概念が一体全体どこから湧いて出てきたのかが気になった。これだけ私を振り回す呪いの言葉なのだ。戦う前に敵を知っておきたいという、私の物事への対峙方法の基本姿勢からも「どうも自己肯定さん、ところであんた誰?」ということから始めねばならんのだ。

 私が発見した概念ではもちろんないので、発想の起こりからそれを研究して研磨して、きちんと説明してきた偉人たちがおられるわけだ。もう彼らのことは人間オタクというか、人の心の中身の知りたがり屋さんたちとでも呼ばせていただきたい。目には見えないものを見つけてそれが何なのか特定したのだ。いやあ、地球広し、人知は深しだ。人類のあくなき探究心は宇宙へやら地底へやら、人の頭と心の中身へやら、どこまでもフルスロットルでぶっ飛ばし、突き進んでいると思う。

 はてさて、その偉人についてだが、便利な世の中で、ネットで検索するとすぐにヒットした。彼らの研究研磨の成果も今やググればポンである。ネットのない時代に同じ生きづらさで悩んだ人々のためにも、私はこのネットを使って今悩む人、これから悩む人にググってポンしていただけるようにグダグダとものを書き連ねていく所存である。

 話が逸れたが、最初に日本で自己肯定感について提唱されたのは臨床心理学者の高垣 忠一郎氏のようだ。それが1994年のことである。なるほど、約20年前か。だがしかし、偉人高垣氏が研磨してくださった以前はどうだろうか。そもそもの発端はと、更にググったところ18世紀のスコットランドの合理主義啓蒙家のデイヴィッド・ヒューム(David Hume)氏がそれを形作ったようだ。それ以上に出どころを掘り下げると、まだ人類が槍を振り回してウホウホしていた頃からの思考の歴史探索をしなければならなくなり、そんな時間も気力も根性もないので、一旦は17世紀発祥ということにしておいていただきたい。そんなこんなで、話を進める前に300年も前に自己肯定感などという、どえらいものを見つけたもうたデイヴィッドさんのことがとても気になった。

■突然ですがデイヴィッドさんてこんな人!
(ググった。英文からの理解なので私の翻訳フィルターにかけられていることは悪しからず)

生誕:1711年5月7日
出生地:スコットランドスコットランドは天才量産地だがこの辺りのイングランド関連の歴史も説明には時間と気力が必要なのでいずれまた)
卒業校:エディンバラ大学(ひ~、ヨーロッパの大学の歴史が深すぎる)
職業:(合理主義)啓蒙家、哲学者、歴史家(あんたがもう歴史だよ)、経済学者、図書館司書
デイヴィッドさんが知りたかったこと:人は先天的な感覚ではなく経験や思考の癖からでしか合理的な判断を下せないっぽいし、そうに違いない。

 この「物事を合理的に判断できるか否かという点は先天的な分では賄えきれない」という当時の人間には夢にも思わないヒトの思考に対する考察にたどり着いた超偉人(知りたがり)だと私は思うのだが、その思想について自分の過去の記憶に思い当たるところがある。高校時代の倫理の教科書で私が深く感銘した哲学者デューイの「経験が知恵・知識となり次の行動の仮設を立てられるようになり、人間はその繰り返しでのみ合理的な判断を行える」という提唱があったが、その根源なのではないのだろうか。ここで高校生の私を痺れさせてくれたデューイと再会するとは夢にも思わなんだが、高校当時の「何当たり前のこと言ってんだ」と思いつつも「ですよね」と私の頭と心が共に納得したのを覚えている。

 さて、つまり300年前のエディンバラでデイヴィッドは「なんとも人々を見ていると幸福になるべき筋道が明確にもかかわらず、ミナサンなんでそんな苦悩してるんデスカ?」という人を多々垣間見たのではないかと想像する。なんせ300年前のことであって、昨日の昼飯の内容も覚えとらん私には想像するしか道がなくてだな。調べるよりも想像するが早くてね。
 つまり。つまり、だ。300年もの前から、そして生活水準や情報量もはるかに旧来のものであった当時から「なんか生きづらそうな人がおるけどなんでやろ?なんで解決策に気づかへんのやろ?」という人がデイヴィッド青年の周りにはたくさんいたのでしょう。幸運にも彼は自身がネガティブと捉えていた先天的な分(地頭の良さ)があったがために、「いやなんで気づかへんの?わかるやん、考えたら。あ、わからんのかいな。ほんならなんでわからんのかその理由が知りたいな」と図書館で棚に本を戻しながらビビッときたのだろう。彼の知的好奇心がそこに引っかかってくれたおかげで、デューイ含め数々の思想家・哲学者にその思想が受け継がれ、今日の「自己肯定感」なるものが形作されたのであれば、今夜から私はエディンバラへは足を向けて寝れなくなってしまう。ちなみに私は向かってどかちらが北かはわかっていない。

 さてと、これで私の知りたかった「自己肯定感」思想の爆誕の瞬間を理解したわけだが、そうなるとその正体は、まずは物事の捉え方の正しい正しくないは別として、自分に良いように受け入れる、ということが最初のスタート地点ではないのだろうか。ただこれは立てそうで立てないスタートなわけで、なぜかというと、その境地に至るには思考を形成する周囲の環境が最大要因だからだ。本項のタイトルにもした「人は皆等しく幸せになれるよねと思っていたらそうでもなかった」という、そもそもの原因はここなのである。ホギャアと生まれた瞬間から生きる権利(というか、生物レベルで考えれば権利もクソも生まれたら生きる。ただそれだけなのだが)を得るところまでは平等に(頼んでないのに)与えられるが、そこからどう幸福を追求できるかは、残念ながら生まれついた環境に既に存在している概念次第なのではないだろうか。書いていてもう絶望しかないのだが、いかんせん私はそこから這い出した身であるので、一応希望はある、と言うておきたい。
 しかしここで、「おいおいじゃあ自己肯定感ってのは後付けでしか成り立たないのかい。生まれついた環境なんて、そんな自分ではどうしようもないもの頼みなのかい。自己を肯定してくれる環境という名のハッピーチケットの有無で人生感を決められてたまるかよ」というのはごもっともなご感想だし、私自身もその通りの感想を抱いている。だが、ここではっきりとググらずに私自身の言葉で伝えることができるのは「そうなの、その通り。自己肯定感なんてもんは環境の差によって、そもそもそれが必要な人とそうでない人がいるの。生まれた環境の初期設定で本人の意思にかかわらず自己肯定感を搭載できている人と、血反吐を吐いて後からグレードの低い機能でもいいから自分自身で自己肯定感をカスタマイズして、自分で人生を走れる車にしないといけない人がいるの」という、神も仏もあるもんか、てな結論をお伝えしておきたい。なんということだ、後者には救いが全くないではないか。
 救いがないついでだが、自己肯定感なんてものがなくても全く問題のない世界もあるということはお伝えしておきたい。それこそ、槍もってウホウホしていた時代の人類だ。日の出とともに起きて、マンモス狩ってどんぐり拾っていた頃に、果たして自己肯定感などという概念は必要だったであろうか。その日を生き抜くことが最大の目標であったのであれば、自己など肯定する必要もなく、そもそも自己たるものの認知も不要であったであろう。
 余談だが、どうしようもない焦燥感に襲われたとき、私はすべて文明のせいにすることで溜飲を下げるのだがあながち間違えていない考え方だと思う。水辺に人が集まって文明を築きだした瞬間から、そこに3人以上集合した時から自分が何者かを知る必要が出てきたということではなかろうか。そう、役割ができたもんだから、一介の動物のヒトであれば必要のなかった「自分には何ができるのやろか。自分は何がしたいのやろ。そもそも自分とは?」なんて、暇かよっ!てな思考が生まれて、そしてヒト科である我々の脳みそのシナプスも元気いっぱいにそれに反応してくれた挙句がこの【自己を肯定せんことには幸せは訪れない2023年・夏】までに人類はたどり着いたのだと思う。
 更なる不幸は、前述した通り自己を肯定できるかは環境によるところが大きいところだ。「困難はなんとかできるはず」という人類が持つ期待と過信を大きく裏切っている現実がとどめを刺している気がする。「希望がある代わりに絶望も必ずや存在する」という理解に至って、初めて心からガッカリできたという経験を持つ私が言うのだから間違いはないはずだ。
 じゃあ、どうすんのよ。絶望させて終わりなのかい。というご質問に対しては意外かもしれないが「いや、そんなことはないよ。」と目を見て言わせていただきたい。なぜなら私自身が自己肯定感の正体を見つけ、それが生きる上の基礎と言っていいほど重要なものであると今では理解し、もともと持っていなかったソレをどうにかこうにか自身で養ってきたというプロセスを体現したからだ。我ながら、もともと茨の道だったのか、敢えて茨の道を行く性分だったのかは考えても仕方のないこととしてドロ水に流したが、よくもまあここまで自身とそれを育んだ環境を正しく認知したなと我ながら驚嘆している。

 前置きが長いんじゃ、はっきりどうやったか教えろ、という皆さんには前置きが長くなったことをまずお詫びのたい。そして、どうやったかといえば、まず諦めたのである。自己を肯定できない、自分に価値を見出せない。ならば現状はそういうことなのであろう、と諦めたのだ。こんなはずではない、こんなことが私の人生に起こっていいはずはないと、正しく異議を唱えるのもまっとうなのだが、私が今理解していることは、そんなこで自己を肯定できるなら300年も人類はこの件に関して悩んで考えていない、ということだ。槍を捨てて水辺に集まったあの日から、人類が理想の生き方と幸福感に味をしめたあの日から、もう諦めるしかないよね、というのが実に手っ取り早い。自己を肯定しないことにはどうにも生きづらい世界になっちまったのだと諦める。そして、本来であれば基本設定として搭載ができる人もいるはずの自己肯定感がなぜ自分には備わらないのか、その原因を突き止めるのところがやっとのスタート地点だ。しかも、これすらも自分で気が付かなければならないという、人によっては人生は激鬼モードなことも事実であろう。だが、何度も言うように、その鬼モードが鬼モードなことに気づいてからでなくては己の人生と思考の軌道修正は叶わないのだ。

 私がどうやったか?
 気づいて認めて、悲しいながらも環境を否定し、一からやり直したのだよ。そうして、外部によってあてがわれていた思考の歪みを正した。そこで何が起こったかというと、まっとうな原寸大の世界が見えた。そうすると、自己肯定もへったくれも、私は間違えていなかった、自身の判断で生きることに何ら不幸になる要素はなかったと認識を改めることができた。月並みな言葉だが、それはもう生まれ変わったような感覚だ。そりゃそうだ、自己を肯定できない内には、他者の価値観と他者の判断基準の目を持って生きなければならないのだから。誰の人生じゃ。
 ちなみに、ここに至るまで幼少期から私は自分の人生を「他人の人生を生きているようだ」という感覚に囚われていた。だが、ここにきてどうだろう。ようやっと自分の人生を生きている。自己を肯定したのか、人生を取り戻したのか、そんな大それたものでもないように思う。ただ、自分の人生を生きるには自分の目でものを見ないことには永遠に人の人生を生きることにはなるのだな、と確信している。

 誰の人生だよ。

 自分の人生だ。

 自分の目で見て自分で感じて自分で判断する。たったそれだけなのに、それがままならないこれが現実だ。この先、300年経てば偉人の研究をさらに研磨した偉人によって、生きづらいなどと言っている人間が一人でも少なくなっていることを心の底から祈ってやまない。

 

 

2023年8月18日