爆裂ナイーブが見た世界

爆裂な線香花火

都合の良い子と悪魔の子。これからの女はどうあるべきか

 フェミニズム。についての話をするわけではないので最初に断っておく。なぜなら現代のフェミニズムについて私がよくわかっていないからだ。

 男女の社会における機会の均等については私もよく考えるテーマではあるが、昨今のフェミニズムといえばどちらかというと欧米、とくに米国のセレブリティーと呼ばれるエンタメやファッション界の上位に上り詰めた女性により声が上げられているムーブメントであって、その主張を日本国内の実情に置き換えてみると同様のムーブメントが起こるにはまだまだ期が熟していないように思える。

 では、日本で純然たる現代のフェミニズムのムーブメントが起こったと実感できるのはどんな場面でだろうか。例えばAKB48という女性アイドルグループ内にて47人の競合を相手に最上位に登り詰めた一人のメンバーがある日このような発言をした時ではないだろうか。

「私が歌うのは女性の地位及び社会的な待遇の向上を実現するための発信の場を作り上げるためであった。その土台が整った今、今後はグループの方向性として『男性を喜ばせる』といったテーマは一切捨てることをここに宣言する。女性が男性と同等に自立し認められ、法に則った確固たる権利が保証される社会を実現するために私たちは歌という表現を通して発信してゆく。また、これ以降は女の性を誇張するような衣装を着る場合であってもそれは男性に媚るためではなく、フリルのミニスカートが繊細で弱い女性の印象を与えてきたこと、そして男の性的欲求の対象として見なされてきたのはあくまでも過去のものであり、本日以降フリルはただの被服として存在するものとする。すなわち着用している本人の能力、知性、人格には一切係わらないと全国民は心得るように。異論のある者は討論番組で意見を交わさせてもらうのでぜひご出演を。」ってなところだろうか。

 うん。ないわー。ないでしょ。ないない。例え話が我ながら極端を爆走したが、フェミニズムの米国的なムーブメントが日本で起こるということは極端に言えばこういうことなのではなかろうか。そして、これが起こらなければ日本でのフェミニズムムーブメントもゆくゆくは『なんかそんなんあったね』と塵霞となり、世界的に見れば相変わらず色々と遅れているなんだか微妙に残念な国ニッポン。を突き進んでゆくことになるのかもしれない。

※私の記憶にある限り、日本で見たフェミニスト田嶋陽子が最後だったと思う。当時の討論番組なんかではそれはもう男女の社会的及び家庭での役割の平等について、主張からの否定からの主張という名の爆弾をバカスカと投下していた。(ただ、爆弾を落とされた討論相手は死ぬので議論はしていなかった気がする)

 フェミニズムの話はしないと前述した手前、『じゃあこんだけ話しておいて何の話しをするんだよ』とごもっともなご指摘をいただきそうなところだが、『何でフェミニズムムーブメントが日本で起こらないのか』についてを話したいのだ。

 そもそもフェミニズムの発端というのは過去の歴史において女性の社会的権利が認められず『女のお前は一生家にいろ』と男社会に人生の役割を言い渡されていた女達が『いやちょっと待て。世の中の、いや人生の舵取り役にわたしら女も入れんかい!あんたら知らんようだけど女には乳と子宮の他に脳味噌もついとんのじゃ!』と声を上げ始めたことであろう。声を上げるだけではなく行動し、初めは選挙権、そしてゆくゆくは参政権の獲得と社会的な機会での性差別撤廃を時をかけて実現してゆく。これも当時の期が熟したことで起こったムーブメントだろう。女性の理不尽に対する怒りと不満と、それを正そうとするエネルギーが満タンになったのだ。つまりは女達が元気だったのだろう。元気がないとなんにもできないのは、いつの時代もおんなじだ。

 ムーブメントは波の勢いが足りず砂浜を撫でるだけの事もあるが、勢いが溢れんばかりとなった場合は津波のように高く押し寄せるビッグウェーブとなり既成概念を飲み込んで破壊する。破壊された古い概念は瓦礫となり、その上に新たな常識を作り出す力があるというのが本来のムーブメントだ。それはもはや革命的と言えるだろう。ただ、苦労して作り上げた新しい常識の足元には、過去の古めかしい慣習という名のDNAがべっとりと付いた瓦礫が横たわっている。そして時折そのDNAを持つ芽が隙間から生えてきては余計なことを言うのだ。今ではそれは失言と呼ばれる。現代ではパワーのある欧米セレブたちが、うっかり失言を放っちまった化石おじさんや化石おばさん(実は若い人も割とたくさん混ざってたりする)を千切っては投げ千切っては投げてボコボコにしている。もしくは欧米に限らず日本国内でもインターネットの世界で不特定多数の一般市民評議員たちにより化石達はボロクソに叩かれて糾弾され吊し上げられるという恐ろしい私刑が待っている。

 ムーブメントは勢い無くして存在し得ないものだが、人の思いが集合して起こった勢いは他の考えも存在して良い、という寛容性は持ち合わせていない。今日の多様性、つまり『色んな考えがあっていいよね!』の『色んな』の意味は実は大変に限定的なのだ。

 日本国内でフェミニズムのムーブメントが起こらないのは、ぶっちゃけ女達が実際にそこまで困ってないし怒っていないからではないだろうか。もしかすると怒り方がわからないから表面に出てこないのだろうか、と考えたこともあるのだが『わたし、怒っているのだけれど、怒りを表現するってどうすればいいのかしら?』と首をかしげているのならば、それはムーブメントだフェミニズムだ以前の問題であろう。元から時代によって毒気を抜かれているのだ。そりゃ闘いにはならんだろうて。これはこれでとんでもない問題だ。怒れ。怒るのなら怒り狂うのだ。感情が欠落した先に明日はないぞ。と、喜怒哀楽の感情がギリギリ欠けてはいないが、かなり低空飛行の私が言うのだから間違いはない。はずだ。

 話しを戻して、女がさほど困っていないという可能性のもう一方で、現状を変えられては不都合な女というのもいるのであろう。私はこれらの女性を『都合の良い子』と呼んでいる。命名のきっかけはこうだ。かれこれ20年ほど前(だったか10年くらい前だったか)、テレビ番組でとある癖が強めで大御所と呼ばれるにはまだ三歩くらい手前にいる男性俳優が、演劇界における彼なりの不満をぶちまけていた。やれ最近の演技派と呼ばれる若手は生意気でどーだとか、スタッフの態度があーだとかで「はー、おっさんも溜まっとるんやなぁ」と、たいして真面目に視聴していなかったのだが、司会者がそのおっさん俳優が最近ドラマで共演した、当時女性に爆裂人気だったファッション雑誌の女性モデルについて聞いたところ「あの子はほんっっっとうに良い子!いまどきあんな子いない!!」と、太鼓判を押していた。そのおっさんによる判の効力の程は知らないが、私が思うに彼女はこのおっさんに何を言われてもニッコリと笑って「はい」としか言っていなかったのだろう。あるあるである。おっさんにとって良い子とは、意見せず刃向かわず、自己主張無く、なんといってもおっさんを否定しないし意見もしない。ニッコリ笑って「ハイ」とだけを繰り返す、つまりはおっさんの脅威にならないのが良い子の定義なのだ。当時の私は『そんなん、おめーさんにとってただ都合がいいだけやないか!さんざん最近の若手に息巻いておいて、その上で良い子ってのは〝俺を煩わせない子デス!“ってなんだそりゃ、情けねえ!』と、勝手に想像して勝手に憤った記憶がある。(私の記憶は曖昧になりがちだが、この番組のことはよく覚えている)

 しかし、わからんでもないのだ。おっさんの気持ちもわからんでもないのだよ。『そうだよね。これまで一生懸命頑張ってきたのに、ぽっと出のくせして大人気の若手俳優(しかもイケメン。おっさんはハゲている)に生意気な口を効かれてさあ。スタッフも言われたことしかやんねー、なんなら言われたこともまともにやれねーってんなら、ひたすら可愛くていい匂いがして何を言っても笑ってハイと言ってくれる美人モデルは、そりゃあこの世の善をかき集めたように良い子であろう、おっさんにとっては』と、なぜかおっさんが巻いたくだに同情してしまう自分もいるのだ。

 また、その女性モデルも決して頭の中が空っぽであるがために笑うハイハイマシンと化したわけでもないだろう。いやはや、君の気持ちもかわる。わかるよ、おねえさん・・・面倒臭かったんだね!といったところではないだろうか。そら、めんどくせーわな。ざっと考えて、気に入られたところで得もなさそうだし、いちモデルを脱却して新たな活動のフィールドを広げるために議論を交わし知性をアピールする相手としてもこのおっさんでは役不足。と判断すれば、何かしら面倒臭いことを言われても余計なエネルギーは使うまい。君にはこれで十分さ、ってなところでニッコリハイをお見舞いしていたのであろう。賢い選択だ。更にはおっさんに『あの子は良い子』と頼んでもいないのに全国放送でポジティブキャンペーンまでしてもらえる特典付きだ。天才か。

 この手の天才的な女性に対して、仮にフェミニズムが台頭してハキハキともの言う女がスタンダードになればどうだろうか。仮に例のモデルの隣にいたマネージャーが「おっさん、その考えは違うと思います。女性は男性の虚栄心を満たすための道具ではありません。いち個人として意見することは女性に限らず全人類の権利です。あなたに気に入られるために私たち女性が口を閉ざし信念を曲げることなど一切いたしません。わかったなら声に出して女性への非礼を詫びろ」とか言い出したらもうちょっと地獄だよね。その場でおっさんをこてんぱんにしたとて、マネージャーはあとでモデルに怒られるだろうし、おっさんはへこんでその夜にお酒を飲みながら泣いてしまうかもしれない。なんかもう、おっさんに非があるといえどちょっと可哀想だ。

 そうなのだ。フェミニズムのムーブメントが中々高らかに起こらないのには、世の中が変わっちゃったら変わっちゃったで色々と都合の悪い女性もいるからなのではないかと思うのだ。ニッコリ笑ってハイ、は極端な例だが決して間違えていない。それを『何ヘラヘラしてんだ!お前も女として意見しろ!女が女の足をひっぱるな!』なんて迫られちゃって『えー、いや、わたし別に前のままでよかったんですけど・・・』なんて言ったものなら例の瓦礫扱いされて叩かれる。そんなのはたまったものではない、というスタンスをとる女性もいるはずだ。

 フェミニズムは難しい。特に日本というお国柄では、そもそもフェミニズムってなんじゃ?と、私のように低めのレベルから始めねばならない方が多数であろう。女性が能力的に男性に劣っているということは決してない。女性にも社会で、更には社会の上層部でどんどん活躍してもらいたい。ただ、それは女性だからではなく、その人に舵を取るに適した能力が十分にある場合だ。男だから女だからではなく、あなただから活躍してほしいと誰もが応援する世の中になれば良いと思う。

 都合の良い子もいていいし、物言う女がいてもいい。ただ、男が女を都合よく扱うのと、女が自分で都合の良い子になると決めるのでは全く異なるということを全ての男性と女性である皆様にも脳味噌に刻み込んでもらいたい。そして、物言う女を悪魔の子のように取り扱わないでほしい。男に求めるのは悪魔祓いではなく、物言う女と同じテーブルに座って議論することなのだから。


2023.05.09